2019年10月8日火曜日

2019年秋の大阪ワークショップ


久しぶりに、日野先生の大阪WSに参加できた。(たぶん約2年ぶり)
初めて日野先生のWSを体験したのは、10年くらい前の京都WSだった。
その時も、わけが分からないまま、ヘトヘトに疲れて、終わった。
でもなぜか気になり、その後も散発的にWSに参加させてもらい、
そして、ご縁をいただいて、明鏡塾でも、しごいてもらうようになった。

で、今回のWSである。
2コマだけの参加だったが、めちゃくちゃ密度が濃かった。
短い時間だったが、常連さんにも久しぶりに会えて、楽しかった。

相変わらず、日野先生は全く容赦がない。
「これ全然初心者向けちゃうやん」と内心、思わず、突っ込みを入れまくり、
ワークに取り組んだ。
帰りの電車では、腹筋などの筋肉痛と、
なにか得たいの知れない疲労感を感じて、熟睡。
しかし、生き生き感というか、活力みたいなのが、
自分の中から湧き上がったのを感じ、
視界が明るくなったのに驚く。

WSに最初に参加したときと今回で、
自分の中では違いを色々と感じていたのだが、
コメディアンの清水宏さんのDVDを見ていたら、
ぴったりしたのがあった。

「日野先生のワークをなめていたわけではない。甘く見ていただけ。」

日野先生は、まったくの初心者を含む参加者全員に向かい、
気楽な感じで、手本を1回だけ示される。
で、簡単に「ハイ、やってみよう!」と声がけ。

知らぬが仏で、とりあえず、見よう見まねでやることになる。
しかし実際にワークをしてみると、たいへん難しい。
名人芸なので当然といえば、当然なのだが、
それにしても・・・
である。
 
例えば、手のひらを上下にピタッと密着させて、
相手の動きにあわせて動いていくワークがある。
これは、本当に手のひら全体をピタッと相手の手のひらとくっつかせ、
手のひらの細胞一つ一つで、
相手の手のひらはもちろんのこと、相手の腕や体の筋肉の、
緊張や動き、どこに動こうとしているのかという意図、
などをちゃんと感じとって、
自分がそれに合わせて動かそうとするワーク、
とも、とらえることができる。

相手とヨコにならび、お互い前を向いて歩き、
相手の気配を察知しつつしばらく歩き、
しばらくして、相手をどうぞ、と腕で誘導するワーク。
これも、歩いている相手の気配を感じるだけでも難しいのに、
その上、自分が、相手の動きの速度、意志や感情の波長と同じになり、
歩く速度や、誘導する腕の動きが、相手と同じ速さになるように要求される。

こんな感じで、一つのワークの中でも、
課題を見出そうとすれば、なんぼでも見つかるのである。
奥は底なしに深い。

先生は簡単そうにデモで見せて下さるが、
それにだまされてはいけない。
出来るようになるまでには、とてつもない努力と時間、失敗がいる。
そしてなによりも、ちょっとや、そっとで、めげない根性が一番必要だ。

でも最初は日野先生の手本を見ても、
どんな課題や努力、工夫が要求されるのか、想像もつかないので、
つい甘くみてしまうんだよね・・・。 
そしてひどいときは、
自分のことが一番わからないので、
ちょっとやってみては、
できたつもりになってしまうんだよね・・・。

ワークショップ、恐るべし。

2019年7月22日月曜日

治療法の原石



明鏡塾で学ぶことは、いろいろな治療法に応用が利く。

自分の身体を、意図した通り、繊細に、客観的に正しく、動かす訓練。
これは臨床動作法とつながった。
臨床動作法は成瀬先生が開発された面白い心理療法で、
手や肩や背骨など、特定の体の部位を動かす課題に取り組むことで、
自分の幻想世界から現実世界へ戻り、
心理的問題を改善する。

自分の体のコリ、無意識の緊張、痛みの範囲を正しく知覚する。
これも臨床動作法や、
マインドフルネス、フォーカシング、アレクサンダーテクニーク
操体法、中医学の気滞の治し方
とつながった。

今、ここ、この瞬間に集中する。
これは禅などの仏教の極意で、心の病いを治す強力な治療法でもある。
エックハルト・トールとも、つながった。

明鏡塾では奥義的な深いことを学ぶので、
治療法はなんであれ、
奥でつながっていることに気づく。
うれしい驚きがある。

2019年7月19日金曜日

思い込みを外す

人には「これはこうや」という思い込みがある。
また、何かをしようとしても、これは自分には無理、とリミットをかけがちだ。
小さな子供は、いろいろな思い込みも少なく、
好奇心や、何かをしたいという欲求も高い。
輝くような感情、表情をあらわに、遊びや行動をしている。

大人になると、固定観念にがんじがらめになって、
思い込みや、あきらめばかりになる。
そして自分が固定観念に縛られているということさえ、気づかない。

明鏡塾では、固定観念が容赦なく、たたき壊される。
臨済禅での公案みたいに、一見わけの分からない課題を与えられる。
見よう見まねでワークに集中する。
思い込みを外す、という作業は、
正直しんどい。
身についた変な考え方や体のクセは強固である。
なかなかとれない。

心を静かにクリアにしていく、という営みは、
禅と共通する。
今、この瞬間、ここ、に生きる。
そんな濃密な時間を過ごした後は、すがすがしい気持ちが味わえる。
新たな気づきが得られて、一つ成長したと実感できる。
そして奥が底なしだ。
これだから、道といわれることは止められない。

2019年6月25日火曜日

背中を触れる(1)


明鏡塾で何回もするワークに「背中を触れる」がある。
床にうつ伏せで寝ている人にまたがって立ち、両手で背中に触れるワークだ。

もちろん最初から誰だって背中に触れることは出来る。
しかし日野先生の手本通り、“ちゃんと”「背中に触れる」ことは出来ない。

それに取り組むワークだ。


そもそも、初めての場合、見ただけで、どう違いがあるのか、わからない。
しかし、実際に背中を触れてもらうと違いを感じることは出来る。
一般人が触れると、自分とは別の人が背中を触っている感触がある。
まあ普通だ。
気持ち良く感じるかもしれない。
でも、よくよく注意してみると、他人の手から生じる異物感がある。
触れられた側には、ピクッとした緊張などの小さい生体反応がある。

一方、日野先生に背中を触れられると、
明らかに、一般人と違いがあるのに気づく。
日野先生の手は違和感が全くなく、
手がピタッと背中に触れて、他人の手という感じがしない。
全身が包まれるような心地よい感覚がある。
背中を触れられる前、触れられている最中、そして終わった後も、
ずうっと、一心同体感がある。
触られていても抵抗や緊張といった無意識の生体の反応が起きない。
名人芸である。

そこで、どうすれば、こんなことが出来るようになるか、である。
実はこれは、日野先生が何十年もかけてたどり着かれた境地のなせる技で、
数年くらい取り組んだくらいでは、とうてい出来ない。
ワークに取り組んでも、
禅の十牛図のような、
らせん階段を延々と登っていくような感じになる。
たまに、出来た!進歩した!という踊り場を経験するが、
すぐまた階段が始まる。
そして、てっぺんは全く見えない。

しかし、この階段を上っていくのは、楽しいのである。
自分の知らなかった発見、気づきがあり、
心境が深まっていくのが、分かるからである。

こんな名人芸を、塾のような手頃な場で教われるなんて、
ありがたいことだ。
しかも日野先生は、とにかくせっかちなのである。
生徒みんなが速攻で進歩するよう、仕向けられる。

実際ワークに取り組んでみて、どんな課題や気づきを得たか。
これについては、後日ボチボチと書いていきたい。

2019年6月20日木曜日

自我のわなから抜ける


ちゃんと感じると、心が落ち着く。
ちゃんと動かせると、心が清らかになる。

ちゃんと見て、聞いて、感じて、自分の思い込みで判断せずに、ありのまま受け止める。
意図したとおりに正確に動いて、自分のくせや思い込みで体を動かさない。

しかしこれを実現するのはかなり難しい。
人は、自分はちゃんと見て聞いて感じている、と思っている。
自分の思ったとおりに体を動かせている、と思っている。
そしてそんなことを疑問に思いもせず、生活を送っている。
もちろん、それが普通だ。
普通に生活できて、「人生そんなもんや」と満足してるなら、それでいい。

しかし本当のところは、
人は自分の感覚を、自分の思い込みで染めて、好きなように加工して受け止めている。
自分の体を、意図とは裏腹に、自分の動かしやすいところを自分勝手に動かしている。
自分の思い込みの世界の中で、独りよがりに感じて、勝手に行動している。
ゆえに、現実世界とのギャップが生まれ、
ひどくなると、生きていくのが苦しく、つらくなる。
他人から見たら、「なんやこいつ?」ってことになる。

果たして本当にそれでいいのだろうか? 
と思ったとき
私にとって非常に役に立ったのが、
テーラワーダ仏教と明鏡塾だった。

自我の妄想世界から、現実の世界に引き戻してくれる。
自然界の生き物として、現実の世界で、きちっと感じ、きちっと動いて生きる。
そうすれば、すがすがしい世界が開ける。

自我は、そんなことはないとわなを張る。
悪い世界は刺激が強いし、足抜けしにくいように、巧妙なわなを仕掛けている。
しんどくなったとき、
「ちゃんと感じる。ちゃんと動く。」
このことを思い出して、感覚に集中することが、
自我の妄想世界から足抜けする糸口になる。

2019年6月14日金曜日

脱・キカイダー


宇宙や地球、生命の歴史といった壮大な物語が好きだ。
そのような世界のお話しをしてくれる一人に、三木成夫先生がいる。
若い時、三木成夫先生の「胎児の世界」を読んで、かなり影響を受けた。

最近「人間生命の誕生」(築地書館)を再読した。
さすがは良書で新たな気づきがいっぱい得られた。
明鏡塾のおかげで生命に対する見方が進歩したせいかもしれない。
今回、その本の「第Ⅰ章 生命とは何か」から引用して、話を進めてみたい。

学校では、大自然が「生命」を持つ植物・動物・人間の三大グループと、
それを持たない地・水・火・風の四大グループに大きく二分される、と習った。
ところが一方、「お日様が微笑み、そよ風がささやく。大地が眠り、海が怒り狂う。」
などと言う。
そこには生物、無生物といった区別はなく、
地・水・火・風のすべてがわれわれ人間と同じように「生命」を持ち、
喜怒哀楽の生を営んでいる。
こうした世界は上古代のそれにあたる。
「生活」は「生命」のたんなるひとつの表われで、
「生活」は「生命」の終わりを意味するものではなかった。
死んでも命はまだ続いていた。

しかしいつの間にか、ヒトは生活に執着するあまり、
生命と生活は表裏一体の関係となり、
生命がなくなれば生活は終わりを告げ、
生活が終われば、生命が喪失したこと「死」を意味するようになった。
「生とは死に抗する機能の総体である」と考えるようになり、
今日の自然科学的な生物学は
「死に抗するための闘争」の「しかけ・しくみ」を解明すること
に全力をかたむけ、
全ての自然を、たんなる「無生」の機械的な物体として考えようとしている。

現代では、この人類史に起こった「生」の意味の大きな転換のために、
生の問題の再検討を強いられている。
われわれが、なに心なく自然に向かった時、
そこでまず眼に映るものはそれぞれの「すがた・かたち」である。
そのとき、それらはことごとく生きている。
路傍の石ころひとつとっても、軒の雨だれひと滴とっても、
それらはみなそれぞれの表情でもって
われわれに生き生きと語りかけてくる。

これに対し、もしわれわれの眼が、それらの「しかけ・しくみ」にしか届かない時、
それらはただ思惑の対象としての無生の物体となるだけだ。
われわれはまさにこの「すがた・かたち」の中にのみ、
「いのち」というものを見出す。
死してなお、ひとの心に鮮やかに、その「すがた・かたち」が残る時、
その人間の「いのち」というものは、まだ亡びていない。
「看護の本質」「治療の根本」は、本来は「すがた・かたち」、
ここでいう「いのち」を見る眼によってのみ支えられる。

以上、長々と引用させていただいた。

昭和40年代、キカイダーという子供番組があり、夢中になって見た覚えがある。
人造人間キカイダーの心の葛藤が子供心に面白かった。
そして現代である。
ヒトは、コンピューターの端末として振る舞うようになり、
ますます機械化の歯止めがきかなくなっている。
・機械的な検査、診断、治療」を受けて、症状が治らず困っているヒト
・「医者にかかっても、コンピューターばかり見て私の方を見ない」と、ぼやくヒト
・機械のようなすばやい反応、結果を期待し、思い通りにならないと、
キレたりフリーズするだけのヒト
と、ちょっと考えただけで、すぐ例が思い浮かぶ。

では、脱・機械化を目指すには、具体的にどうすればいいのだろうか?
現代社会の中では、これは難問である。
そんな中、日野晃先生は、明鏡塾という、
そのようなことを学べる貴重な場を、与えて下さっている。
「目で聴く、背中をちゃんと触れる、頭で解釈せず感覚をありのまま受け止める」など、
一朝一夕に出来ないことばかりだ。
しかし「いのち」の本質にせまる発見を次々に得られるのが、非常に面白い。

2019年6月5日水曜日

カラスの子

土曜日の晩、帰ってくると、玄関先に傷ついたカラスの子がうずくまっていた。
あたりは一面、灰色や黄褐色のフンだらけ。
灯りの下でギロリとこちらをにらむが、目がうつろ。
その日は疲れていたので、そのまま玄関に入り、放っておいた。

日曜日の朝、様子を見に行くと、カラスの子はまだいた。
近づいていくと玄関の戸やガラスの方へ飛び立とうとジタバタし、何度もぶつかった。
方向感覚もかなりぼけているようだった。
よく見ると玄関のガラスも、ひっかき傷やフンでよごれており、
血もベットリと付いてた。
これはかなり弱っていて死ぬかも、と思った。

身柄を箱に確保して、河原かどこかに連れて行こうとしたが、
上空には心配しているカラスが何匹か、カーカーとうるさく騒ぎ出し、
カラスの子に近づくと、危害を加えるな、とばかり飛んできた。
カラスの子も、自分で逃げる元気はあり、
仕方なしに箱を盾にして、そのまま空き地に誘導した。
そして玄関先を水とブラシできれいに洗い流し、1日放っておいた。
その日は一日カラスの子と、親鳥?達が、カーカーとうるさく鳴き合っていた。

次の日の朝、死体の始末をするのは嫌だなあと思いながら様子を見ると、
カラスの子は少し元気になっていて、道路に移動していた。
電線やアンテナに止まったカラス達が、カーカーと鳴いて
子ガラスを元気づけていた。
さすがカラスは気高いなあ、と感心し、そのまま忘れていたら、
目や翼の不自由さを何とか間に合わせて、
昼前にはどこかにいなくなっていた。

そう言えば、岡本太郎がカラスを保護して、
好意と敬意を持ってしばらく飼っていたなあ、
と思い出しながら、
人間だと、きっと不安や妄想にやられて死んでいたに違いない、と思った。
薬や病院にばかりに頼っていないで、
野生動物のたくましさ、生命力の強さを少しは見習いたいものだ。

2019年6月2日日曜日

日野先生ライブ

2019年6月1日土曜日、念願かなって日野先生71才のライブに行ってきた。
場所が新宿だったので夜の部のみの参加だったが、
16時過ぎに着いてロビーで待っていると、
昼の部を終わったはずの日野先生が不意にひょっこりと現れてニッコリ挨拶された。
全く普段と変わらずの自然体だ。疲れている様子もみじんもない。
「こんなもんやで」とあっさり答えられ、驚いた。
東京明鏡塾の懐かしい面々とも久しぶりに会えて楽しい時間を過ごしているうちに開演。

1部は日野先生のドラムソロ。
一言で形容すると、火山からマグマや噴石、火砕流がバンバン飛び散るのを、
食い入るように見入っている感じだった。
富士山が噴火したらこんな感じだろう。
日野先生は宇宙的な大自然そのものとなり、静寂の中、生命を爆発させていた。
そのほとばしるマグマは激しくなったり、治まったり。
観客や場のエネルギーと交流し、何もかも取り込んで変幻自在だった。
原始時代、ヒトが火山の噴火を見ながら、踊って祈ってお祭りをしていたような、
そんな場であった。
どれくらい演奏されていたのだろう? 
気がついたら、あっという間の約1時間?だった。

2部は一輝さんとの共演。
和太鼓、ドラムの2方向から、音の火花が激しく、
しかも奇妙にぶつかることなく、どんどん打ち上がっていた。
舞台上にきれいで華々しい花火が次々と描かれていくような感じだ。
かと思えば、一輝さんの若さあふれる荒々しい和太鼓の音を、
日野先生がドラムでひょいひょいと受け止めて返していく。
大津波や隕石の衝突があっても、
泰然と存在している宇宙の姿のようだった。

ドラムの演奏一つとっても、
たぶんビデオのスローモーションでも、
一つの腕の打ち下ろし動作で何回音を出しているのか分からないだろう。
とにかく人間業とは思われない演奏だった。
リミットを自分でかけなければ、人間の可能性に限界はない。
そんな大事なことを自分の目で見ることができた。
ライブ会場でありがちな、耳を麻痺させるような大音量の音ではなかった。
しかし音が強烈に、会場にいた大勢のみんなに響き、作用する。
そんな場を体感できて良かった。
そしてたぶん無意識に、いや無意識だからこそ、強い影響を受けて帰ってきた。

2019年5月31日金曜日

かっこいい生き方

2017年にあれだけ元気だった洋先生が、あっという間にお亡くなりになられて、
自分に残された時間というものを意識するようになった。
2017年の日本人の平均寿命は女性が87・26歳、男性が81・09歳。
残された時間は平均余命で見るとしても、
お世話になっている先生方や身近な人、自分の残された時間を考えると
愕然とするばかりだ。

日野先生のブログはいつも素晴らしいが、
2019年5月28日の記事は特に印象に残った。
https://blog.ap.teacup.com/hinobudo/2995.html
こんな生き方をしている人は滅多にお目にかかれない。
目が覚める一文だった。
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熊野での最後の練習は終わった。
ドラムをケースに詰め、今送り出した。
多分、熊野でもう練習することはないだろう。

こういった、一つのイベントがあるのは面白い。
常にそのイベントに向かって進み、そのイベントが終わると何事も無かったかのように、日常が目の前に出てくるからだ。
だから、やり残したことは無いかと重箱の隅を突っつく。
これがまたプレッシャーに拍車をかける。
そういう時間が好きだ。

もちろん、その日常も死というイベントが終わると、何事も無かった、自分は存在していなかったという状態になる。
だから、これも同じで「やり残していることは無いか」となるのだ。
それが「生きる」である。
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やり残していることがないように、やりたいことをやっていこう。

2019年5月30日木曜日

やりたいと思ったらやる

 明鏡塾に入る前から、日野晃先生を始めとして、いろいろな方のネット情報にお世話になりました。今でも、明鏡塾の仲間達が思い思いに情報発信されているのを目にして、楽しませてもらったり元気をもらったりしています。
 私も明鏡塾に入ってしばらく経ち、他の人達から「どんなことをしているの?」と聞かれることが多くなってきました。
「自分みたいな未熟者があんまり変なことを言っても路頭に迷う人を増やすだけやしなあ・・・」
と情報発信を躊躇してきましたが、
「ちょっとした情報でもみんな思い思いに試してもらったらいいか」
と考えて、ブログを始めて見ることにしました。
 病や死はみんなに等しくやってきます。それぞれの生活に何か起こるかもわかりません。
「日野先生に直接触れ合える時間が残り何年あるだろう?」 
と考えると、
うまくいって10年前後か! 
残された時間はあまりに少ない。
面白いと興味を持ったら、即行動しかない。そんな感じで明鏡塾が盛り上がっていったらいいなあ、と思います。
 しかし私のような怠け者がブログ更新を、はたして何回できるのだろうか?😅