2021年7月13日火曜日

ヒトと感覚の根源にせまる 6期5回目 大阪明鏡塾レポート

 今回も深かった。「人は人に何もできひん」という医療を考える上での根源的な考えを日野先生から聞いた。大変厳しく、頭では面白いと興奮したが、体には胃腸の痛みとして現れた。今回の教えはいつも自分の中で熟成させていかなければならない。いい話で終わらせると、すぐ元に戻る。教えを体にしみつかせないと価値がないし、そのためには繰り返し、習慣化が大事だろう。

 

●冒頭の宿題:「ここを改めて決めて触れてみる」に関して

1)前回の「左手で炎症をとる」を試されたAさん。手かざしは遠くから始めて、違和感が消えたら手を患部に少しずつ近づける。そうして芯が取れたら終わりで、ほとんどの場合、皮膚からある程度離れたところで終わる、とのこと。

2)「治してあげる」なんて傲慢な考えだ。医療における大前提は、「人は人に何もできひん」ということ。医療者が患者さんの病気やつらさや死ぬことを変わってあげることはできない。だから、できるせいいっぱいのことをせなあかん。その根性をもっているかどうか、が力になる。

 自分が自分の命を捨てているから強い。自分が守るものがあるから強い。武士道において武士が強かったのは、自分を守るために戦っていたのでなく、主君を守るために戦っていたからだ。

3)実際の治療において、「なんとはなしに、ここか」と感じて触れることが大事。意識が働くと、「ここ」が違和感になる。そんな感じで触れ始めると、触れている一点から、別の一点が見つかる。そうやって触れていって治療する。

 

A)    今回の明鏡塾のワークについて

1) 「背中を触れる」ワーク(21組、腹臥位)

 今回も前回の流れをふまえて、(1)筋肉を触れる→骨(肋骨など)を触れる、(2)部分を触れる→全体を触れる、とやってみて、違いを検証していった。

 いかんせん、手が先生のようにシャープでなく、ぼてっとしている。みるからに感度が悪そう。なんとか感覚を得ようとして、手を押しつけ、相手に圧迫感を与えた。また手の感度は意識の静けさにも比例する。特に骨を触れるときは、意識を静かにして手で骨を感知すると、骨だけが浮かび上がってくる。受けていても、仕手が上手にやっているときは、自分の筋肉や骨だけが浮かび上がって感じられた。未熟な自分たちは、筋肉や骨の浮かび上がり方が部分部分で輪郭もぼやけており、ドットがめちゃくちゃ抜けた液晶画面のようだ。

 

2) 「立っている相手の呼吸に合わせて入り込み、前に歩かせる」ワーク(21組、立位)

 相手に両腕を直角に曲げてもらい、大きく呼吸して、呼気は手を前に吸気は後ろに動かしてもらう。数呼吸してリズムがつかめたら、相手の吐く息のリズムに合わせて一息で相手の横に入り込み、吸うときに直角の前腕と背中に手を添えて、次の吐く息のリズムで前に一緒に歩くように誘導する。相手のリズムと一緒になり、終始相手の意識や呼吸の流れで一連の動作をする。

 次に動作を簡略し、相手の横に入り込んだ後、背中にまわした腕をまっすぐラリアットのように相手の上背部あたりに当てて、前に歩かすというバージョンも行った。

今回気づいた自分の課題は、相手と一緒に前に歩こうとするとき、もっと上背後から大きく前に意識をもっていかないとだめ、ということだ。ブランコ(自分)とブランコにのった相手が、一緒に前に行くように。それから、意識がちゃんと相手に向いていて、距離を置かないことも大事な点だ。どうしても自分たちは、距離が遠く、一緒にならない。わざと近くに立っても違和感が発生し、意識は遠いままだった。

 

3) 「相手に突いてもらい、こぶしが前に来たときに、自分の意識や手を添えて、もう少し前に誘導して、相手を前に崩す」ワーク(21組、立位)

 明鏡止水という番組の、武神館の崩しを解説されていた日野先生の一場面を彷彿とさせるワーク。

 相手が「突く」と意識発動する前から意識を合わせ、相手に向かってむしろ突きを呼び込むように意識を出す。伸びてきた突きの手に自分の手を添え、意識は相手の背から肩を通って自分へと方向を変えずに前へと添わせる。そうして相手が突きを止めるところから、相手のスピードのまま少しねばると、相手は前にバランスを崩す。

 このワークは遊びのような感じで面白くでき、意識を相手に向ける、いい訓練だった。

 

4) 「寝た人を呼吸のリズムに合わせて起こす」ワーク(21組、仰臥位と坐位)

 相手に仰向けに寝てもらい、吐くときに両腕を天井の方へ突き上げてもらう。首の後ろに片手をピタッと当てて、もう片手で相手の動いている前腕に手を添えて、相手の呼気のリズムに合わせて起こす。

 体格の大きいAさんと組んだので、いい訓練になった。本当に相手の呼吸に自分がなると、驚くほどすんなりと起こせた。ちょっとでも自分の呼吸になると、相手の呼吸になったつもりということがわかり、相手がずっしりとして起こせなかった。

 また呼吸のコピーをしようとしたら、私はまったく正反対に呼気と吸気をコピーしてしまい、修正に数呼吸かかったときがあり、視野が狭くなりすぎて大局が見えなくなっていたのに気づいたときは自分で笑った。

 

5) 「寝た人に鎖骨、肩、上腕、肘にさすって信号を与えて起こす」ワーク(21組、仰臥位と立位)

以前にもしたことのあるワーク。相手に向かって丁寧に同じ圧、速度、同じ意識状態で体に向かって信号を与えていく。大きな意識で肩を前から後ろへ丸くさすり、上腕をさすると同時に背中を上から下へ動いていくのを意識して手などで感知する。肘まで行ったら、外から後ろ側へと丸くなでることによって、腰や骨盤をしめて、相手の上体を一体化させて起こす。

集中して一つ一つ丁寧にして、相手に向かって意識を大きく使い、頭を静かにして手や体の感覚を鋭敏にしないと、すぐに失敗する。今回は丁寧さが大事だなあと感じた。これも意識や感覚を研ぎ澄ませるいい訓練だった。

 

6) 「坐った人の片腕を両手で持ち、肩、背中、腰へと動かし腰でバンドをつくって立たせる」ワーク(21組、床坐位と立位)

坐った相手の片腕に両手を添え、肘に近い手で相手の肩を前→上→後ろへと繊細に感じながら動かし、背骨を上から下へ行って、前腕から肘を外旋させることで腰を横にゴムがねじれるようにしてバンドをつくり、バンドごと相手を椅子から立たせる。今回は相手が体格の良いAさんだったので、腰あたりに行くと動きや感覚を見失い、腰の筋肉がねじれる感覚や動きが手でとらえられず、思わず手に力が入って、相手に送っている信号も腕に戻ってしまい、失敗した。うまくいかないときほど、冷静に丁寧にしなければいけないが、いざやると、力んで頭も騒々しくなる。訓練が必要だ。

 

7) 「ひとりぼっちの夜で立たせる」ワーク(21組、椅子坐位と立位)

 椅子に座っている人に「ひとりぼっちの夜」と歌ってもらい、それを目で聴いて、近づいていき、意識を切らさずに腕を取って、一緒に立つというワーク。

 ポイントは相手にちゃんと、ずっと意識を向けていられるかどうか、だ。相手のリズム、相手の意識状態で、自分の体を動かしていって、相手を飲み込むように背部から手前へと意識の大波でさらっていくようにして、相手を手前へ立たせる。前回はもう少しましだったような気がしたが、今回は失敗ばかりだった。意識の鍛錬にはきりがない。

 

B)    今回の明鏡塾を終えて

今回は、日野先生に対して、皆が右の背中や上肢にかけて違和感のあるところを指摘し、違和感のあるところを11点手当するという、治療的なことも経験できて良かった。違和感のある一点が、以前よりなんとなくわかり、指を当てていても、手応えが変わって良くなったことが感じとれた。

またBさんが途中で腰を痛めて、日野先生が本当に目で聴いて腰痛をとるという、ハプニングもあった。日野先生がBさんに対して目で聴いているのを見ていると、こちらも見ているだけで感動した。いつか「目で聴く」をちゃんと出来るようになりたいものだ。

打ち上げ時にも深いお話を聞け、本当にためになった。

日野先生曰わく、「つつがなく過ごしています、って訳がわからん」と。「感情を動かして生きているなら問題があるのが当たり前」との言葉に、思わず我が身を振り返った。無難にやりすごすのは、無駄な努力のようだ。問題が起こったときには覚悟を決めて対処するほうがいい。

それから「胸骨の一点を動かすのが大事と気づかれたのはなぜですか? 4千年前くらいの古代中国人が直感的に感じたのと似たようなことですか?」という質問をした。

中国伝統医学では、「心は神明(精神・意識・思惟の働き)を司る」と言われているのが念頭にあったからだ。

すると「理屈なんか何もなく、あるとき、自分がそうだと感じただけ」とのこと。

「中丹田や膻中(経穴名)といった名前にとらわれてはいけない。最初に見つけた人は、その人の体の場所と心身への影響、どういう作用があるのかよく知っていたが、場所に名前はなかった。その人の弟子など後生の人が勝手に名前をつけただけ。丹田や膻中といった言葉、概念を追い求めて勉強するのは間違いのもと。人によって、その時々で、体の作用点と心身への影響は違ってくる。それぞれの体で、そういう働きをする点を、実際に見つけていくことが大事」。

「それは音と心の関係と一緒。フリージャズで音を根源までとことん追求していったとき、行きついたのは、音と心身の関係性。根源的には、火山の噴火などを見てわーっと感情がわき上がって自然に出たようなものが音。人それぞれの音がある。12音階とけっして決まっていない。西洋人が12音階にしたのは、完璧な洗脳。まだインド伝統音楽のほうがまし。人間はあくまでアナログ。デジタルではない」。

E=MC²、に匹敵することは何かと考えた末の答えが、関係。それぞれが重力で引き合い、重力で関係する。原子レベルのミクロでそうなのだから、その集合体の人、マクロでもそうでないとおかしい。宇宙に広がる星、星と衛星、重力が司る、そんな関係。ワークで「呼吸を合わせる」というのは、この重力場を作り出しているのと同じだ。重力が大きければ、他の星を引き寄せるし、星とバランスがとれていれば、等しい距離を保つ。合わせた側の重力が大きくないと、相手を誘導できない」。

気宇壮大な話で、ロマンを感じた。東洋医学で、生薬や経穴とそれぞれの体、感情の反応、関係性を探究して治療していく。なんて奥が深く、面白そうな観点だろう。

 

日野先生からお返事:

私が武道の奥義や、大事な事に気付いたのは、武道の稽古を終え帰宅して、それを反芻する、という事を連日やっていた時でした。

10時くらいから、夜終電車ギリギリまで過酷な稽古をし帰宅。

でも、全然眠れなくて、というよりも、反芻する方に意識が働き、多分殆ど寝ていない状態だったと思います。

どれだけの日数を続けたか忘れましたが、そんなある日、身体に変化が起こり40を越す高熱が1週間程続きました。

もちろん、稽古も反芻も続けていました。

その高熱が引いた時、一番最初に頭に浮かんだのが「見てはいけない・聞いてはいけない・話してはいけない」という事でした。

完全に禅問答だし謎かけです。

そこが、「聴く」ということの入り口であり、現在の私の入り口だったと、後になってわかりました。

つまり、身体を動かし、それを考える、という作業が、完全に私を変革したという事です。

だから、私は身体という「脳」を働かせろ、と考えているのです。

 

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