2021年7月11日日曜日

勘違い 6期2回目大阪明鏡塾レポート

雨でどんよりとした空気の中、いつもと違う場所でワークに取り組んだ。課題もたくさん残り心身とも疲れたが、少しずつでも着実に自分が変化しているのが実感できて楽しかった。


●宿題:「何かに触れる。デリケートなものに触れる。手の感触を確認する。適切な圧力で触れる」について

・何かのためにすることは、自分にくっつかない。没頭してやるだけでいい。そうすると自分の経験、感覚、データとして蓄積され、何かのときにさっと出てくる。それが、のちのち役に立つ。

・言語化するとき、何かに置き換えて、例えて話をすること。話し相手を見て、例えを考える。置き換えがどれくらい的確にできるか、が患者さんと話しするときにも役に立つ。

・自分にとってデリケートとは何か、と突っ込んでいくこと。自分が触る物、見る物、感覚するもの、は実は全部デリケートなものだ。とことんデリケートに感じることができる。その中でも、声がとどく、目で触れる。それの手応えが一番デリケートだ。野生動物が視線で何かを探っているときのように。

 

A)    今回の明鏡塾のワークについて

1) 「背中を触れる」ワーク(21組、腹臥位)

 前回と同じく、Nさんと組んだ。Nさんは2回目のせいか、皆からいろいろ感想やアドバイスをもらって、だいぶ頭が混乱しているような感じを受けた。意識を静かにして触れた方がいいのに、と思って、今回は違和感があるかないかだけ伝え、あまりアドバイスはしないように心がけた。しかし混乱の中、試行錯誤していくのは、成長するためには避けられない課程だ。経験をつんでいくしかない。

 今回は、最初、すっと手を水面下に潜らせるように触れる、最後、相手の反応を合図にすっと離す、ということに焦点を当てて練習した。Nさんは感性がいい女性なので、自分にちゃんと触れてきているか、それとも独りよがりか、本当に的確に教えてくれるのでいい練習になった。

 手を活性化させるべく、両手首を二人がかりで動かないようにおさえてもらい、もう少しで届きそうな位置に差し出された手に向かって、必死で握手をしにいく、という遊びのようなワークをはさんだ。

 その後、背中を触れたところ、体のいらない力が抜けて手がピタッとなり、手でおしている感じやふるえ、手の部分部分の圧力の差などの手応えを感じなくなった。そして触れられた人からは、「手がなくなって、でも触れられている感じはあって気持ちよかった」などの、よい感想が聞けた。「なんで出来たのか不思議」でなく、ねらって意図的に出来るようになりたいものだ。

 

2) 「呼気に合わせて上背部を押していく」ワーク (2人1組、腹臥位)

背中を触れる、のワークと同じように肺の後ろに手を当てて、相手の吐く息に合わせて自分の体重を手に平にのせていき、吸気時は手の圧迫をキープ。数回して十分肺を圧迫したら、相手が息を吐ききって吸おうとした瞬間に手の圧迫を解放する。うまくやれば、受け手は呼吸が軽く深くなる。

前にもしたことがあるワークだったが、相変わらず難しかった。手で相手の背中を押すのではなく、手に体重をのせていく。「肘をピンと伸ばさず、若干曲げたまま、手のひらへ自分の体重を徐々にのせていく。自分の膝を徐々に緩めていくことで、自分の体重をのせる。」とアドバイスがあったが、手などの感覚が鈍すぎて、相手の呼吸の動きに反応できない。自分の動きもぎこちなく、どうしても相手を押してしまう。肋骨も華奢に感じられて、ヒビでもはいったらやばいなあ、と感じる始末。適切な圧で体重をのせていくのも難しかった。


3) 「坐っている相手の肘、肩を感じて動かす」ワーク(21組、坐位)

 坐位の相手に片腕を肘で曲げてもらい、手首内側と前腕外側を両手で持つ。相手の前腕骨を手で感じ取り、手の感覚で前腕骨を肘の方へ動かし肘関節がコツンと当たるのを感じる。次に上腕骨を上へ動かして肩関節でコツンと当てる。

 表面的にはほとんど動いていないように見えるが、腕の中の骨をちゃんと手で感じ取り、手は終始ソフトで力まずピタッと当てたまま、骨を動かしていく。相変わらず難しいワークで、自分の手や体のどこかが力んだり、動かしているはずの所がわからなくなり(特に上腕骨)、当てずっぽうに動かしたりと、失敗ばかりだった。


4) 「坐っている相手の前腕を持って、肘、肩、反対側の肩へと動かしてつなげていき、そのまま倒す」ワーク(21組、坐位)

 相手の前腕を両手で持って、手で相手の骨を感じながら肘方向へ少し動かし、肘の関節のゆるみがなくなってコツンと当たるのを感じる。そして手で相手の上腕骨を感じながら上へ動かし、肩関節のゆるみがなくなりコツンと当たるのを感じる。手で相手の骨、筋肉の緊張、動かしている箇所を感じ取って、手で繊細に感じて動かし微調節をしながら、静かに慎重に動かしていく。相手の上肢や肩のラインを行ったり来たりしながら、何とか倒すことはできたが、まだまだ感覚や動きが粗いのを自覚した。

あるとき、ワークの途中で日野先生からストップがかかり、自分の姿勢を確かめるように言われた。私の肘が上がって力んでいて、わきが開いていた。これでは手のひらがピタッとならず、緊張が相手に伝わって、相手の上腕や肩へと力が伝わりにくい。カッコ悪いし、やりにくいわけだ。自分の肘はなるべく下の低いところで保ち、わきを空けずに姿勢良く操作しないといけない。


5) 「坐っている相手の前腕から上腕から肩、上背を反対側の肩へとなでた後、前腕外側を持って、押して相手を倒す」ワーク(21組、坐位)

相手の前腕内側に片手を添え、もう片方の手で前腕外側を肘へ向かってなでていき、意識を途切れさせず、圧や速度を変えないで、上腕外側を上へなでていく。そして肩を前→上→後ろへ丸くなでていき、上背部を反対側の肩までなでていく。反対側の肩まで行ったら、意識をとぎれさせず、速度も変えず、手を離し、前腕外側まで手を戻し前腕を持って、相手にあった圧で相手を横に倒す。

これは比較的簡単に出来た。人間って体にあらかじめ信号をあたえられると、抵抗なくその方向へ動く。しかし日野先生のように、本当に静かな意識状態でなでられて体に信号が送られ、体が自然に倒されているのを見ると美しささえ感じた。


6) 「肘を曲げて足を前後して踏ん張って立っている人を、腕から肩、背骨、腰へとなでていって、相手の体に刺激情報を与えて、前腕を肘をかかえるように持って、一緒に前へ歩かせる」ワーク(21組、立位)

 相手に足を前後に踏ん張って立ってもらい、片手で相手の前腕下側を持つ。もう片方の手で、前腕外側、肘、上腕外側を肩へと一定の速度、圧でなでていって、肩を前、上、上背部へと丸くなでる。そして肩から背骨へ横に、背骨を上から下に、腰までいったら反対側の脇腹へ横に、そして手前の脇腹へと横に、腰バンドを形成するようになでる。意識状態を途切れさせず手を離し、そのまま相手の前腕を両手で支えるように持ち、一緒に歩く。

 このワークは難しかった。日野先生がすると、不思議なほど踏ん張りが効かず、前に歩いてしまうが、自分たちがすると踏ん張りがとれないか、なんとかやっと前に一歩歩かせるか、だった。腰回りのバンドをつくる、尾骨の下をすくうように働きかけて前に歩かせるというワークは、自分の体を自分の手で触りながらやっても感覚が鈍い。自分のイメージを作ってやるのは間違いなので、なるべく見たままをしようとするが、手の感覚がよく分からず、体を動かす感覚もつかめていないので、腰くらいにくると五里霧中になった。

 Nさんからは、女性ならではの「触られて気持ち悪い」という感じがしたと言われた。しかし日野先生のように本当にその人に触れると、受け手にいやらしいやら、気持ち悪いという感覚は起きない。思いの世界でなく、静かに、相手を本当にちゃんと触れないといけない。そういう点でもハードルが高く難しかったが、いろいろな思いが浮かんでは消えてを繰り返しながら触るのではなくて、失敗してもいいのでこれと決めて触れ、経験を蓄積していきたい。

 

日野先生からお返事:

セクション6の身体の部位を撫でていく、というのは、本当に難しいです。

特に女性に触れる時、それなりに気を使いますから、それが逆に違和感として働いてしまいます。

その意味では、気遣いなしに、「そのもの」、部位から部位への線を形成していく、という事に集中しなければなりません。

男性としては難しいのですが、それも稽古の一つだと思って下さい。 

 

7) 「一歩前に出ようとするのをオイと言って手で制止する」ワーク(21組、立位)

今期初めて、皆で輪になって「上を向いて歩こう」を歌った。探り探りの感じで声のぶつかりも感じた。お互い目で聴いて相手に歌うともっと一体感が出そうな感じだった。その後、今期初めてのMさんと組んだ。

まず面と向かい合って立ち、相手が一歩前に踏み出そうとするのを察知して、オイと言って手を上げて相手を止めるワークをした。その後、相手が「あ」と声を発しようとするのを察知して、手で合図を送って制止するワークもした。

Mさんが相手が足を踏み出そうとする意識の起こりを感じとる早さは、初めてにしては、ましだったと思う。私は、フライングしたり、ちょっとした相手の体の動きに反応してしまったり、遅かったりと全然ダメだった。最初から相手をとらえに行かないとダメだと分かってはいるのだが、意識が相手に行けてない。


8) 「ひとりぼっちのよる」と歌をワンフレーズ歌って、相手を椅子から立ち上げるワーク(21組、立位)

 前回もした定番のワーク。椅子に座ったMさんの意識状態、全体の雰囲気を、自分の体全体でまずつかみとる。そのまま、なるべくお互いの意識状態を保つように相手を目で聴きながら、「ひとりぼっちのよる」とオレがMさんに歌う。体全体(特に足や手)が、雰囲気を壊さないように、相手をずっと聴きながら近づいていき、相手の両手を支えて一緒に立つ。Mさんはすんなりすぎるくらい一緒に立ってくれた。自分では手足などの動きがまだまだ合ってないと感じたが、今回は受け手としてサポートする側に回った。Mさんは非常に素直で、1回ごとにどんどん変わっていき、頭が柔らかい。最初、動作や姿勢、顔つきが滑稽で笑ってしまいそうなほどだったが、最後はぎこちないながらも一緒に椅子から立つところまで行った。

 本日最後に皆でワークについて話し合ったとき、客観的評価はどうしているか、という話になり、「私は診察の流れがスムーズで、短い時間で終わったかどうか、を一つの判断材料にしている。」と答えた。このワークはまさに診察を模したようなワークで、最初相手の意識をとらえ、「ひとりぼっちの夜」とあいさつ、会話し、一緒に一連の動作をして流れていき終わる。

 

B)    今回の明鏡塾を終えて

人は、物を直接見ず、思いを見ている。例えば犬と聞いても、犬といい思い出がある人はにこやかになるし、犬にかまれた経験がある人は嫌、こわいと感じる。明鏡塾のワークをしているとこのことに痛感させられることが多い。手本を見て実際にやっても、思いばかりが出てくる。ありのまま見て、体を意図通りに動かし、意識をちゃんと相手を聴いて伝えたり出来ない。思いが出て、違うことが気になったり、相手を触ろうとしていたはずなのに、自分のことを考えたりと、騒々しい。思いの世界を突き破ることができれば、好き嫌いなどが吹っ飛んで、静かで清明な世界が広がる。

禅で煩悩、妄想に逐一気づいては、その瞬間、それ以上とらわれず、ひたすら振り払って捨てていくのと似ている。静かな世界に行くのは難しく、軽い気持ちでぼんやりやっていると途中で挫折する。初志貫徹するには、そうしたいという激しい情熱、強烈な意志、怒りのような感情が、土台として必要だ。

明鏡塾でも日常生活でも、思いが出たときは、思いを自分で認めて気づき、それ以上とらわれず、やるべきこと、感覚に集中することを心がけたい。体の力みや変な姿勢も、思いの影響の結果なので、他の人に指摘してもらったり、鏡や映像でみて気づいて、修正していきたい。しかしヒトくらい変な関係の世界で、勘違いして生きている生き物はない。ちょっとでもましになりたいものだ。

 

日野先生からお返事:

最後の「しかし、人くらい変な関係の世界で、勘違いして生きている生物はない。ちょっとでもましになりたいものだ」は、ほんとその通りで、野生の動物は思いに囚われることも、悩む事も無いと思います。

だから、行動が明確だし、行為も明確です。

しかし、勘違いしていても生きて行ける世界にしたのも私達人類です。

逆に言うと、勘違いしていなければ生き難い世界です。

その中で、勘違いしないというのは至難の業だと思いますが、だからこそそこに挑戦するのが楽しいとも言えますね。

 

 

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