2020年12月1日火曜日

5期4回目大阪明鏡塾レポート

 20208月某日。相変わらず密度の濃い1日だった。

日野先生が「関係性が大事」と強調していた意味が今頃になってやっと自分に入ってきた。今まで自分にとって「関係」という言葉は、家族関係、社会での立場関係など、大して深い意味をもっていない言葉だった。しかし日野先生が言う関係性とは、血が通って生きている生身の人間対人間の間の現実の関係を示している。私を含めほとんどの人は、周りの生身の人間を勝手に思いの中で無意識に作り変えて「こんな感じの人」と適当に扱っている。もっと言えば他人だけでなく自分自身をも、思いの中の登場人物として適当に扱ってしまっている。無意識的に、無自覚に。だから死なんて意識できないし、ぼやけた生き方しかできない。

日野先生は、そういう世間のおかしさに強烈な「No!」を突きつける。

「人はリアルな生物なのにそれはおかしいやろ!」 

「人は自然の生物の中でしか生きられないのにそんな自分勝手はあかん!」

居酒屋で日野先生の魂の叫びを感じた。

明鏡塾はスーパーリアリストを目指す場だ。

 

●前回の宿題「患者さんとの姿勢に注意する(腰が引けていないこと。不必要な距離を取らないこと)」の報告の中で印象に残ったこと:

(1)      体験に来ていたお坊さんの話。代々続く由緒あるお坊さんの家に生まれて、自分もお坊さんになったが、ぱっと見、お坊さんに見えない。経典など坊主になるための知識は学んだけど「自分は坊主」と自覚していない。「自分にどんなにおいがあるか」が「現場で腰が引けているかどうか」を決める。おおもとは自覚、覚悟である。答えは自分にしかない。ところが自分のことはわからない。ヒントは外にある。これを考えていかなければ自分にたどり着けない。自分も育ちは似たようなものだけに身につまされる話だった。

(2)      言葉は方便だ。言葉自体に価値なんてない。どうでもいいから臨機応変に使え。

(3)      「生きるのに価値があるか?」 価値なんてない。価値がないからこそ一生懸命やるもんや。勝ち負けなど、意味があることは達成したら終わり。勝つためにやると、どんだん細くなる。遊びやからこそ、どんどん深くなる。遊びには達成点がない。全体をやっているのでなんぼでも伸びていく。面白いから。だから、おもろせい! 変な価値を持ったらあかん。

(4)      将棋の羽生さん曰わく「歴史に残るような歩を打ちたい」。勝つか負けるかでなく、相手とすごい関係を持って「歩」を打ちたい、と。名人は視点がちがう。


1) 「体重移動」(21組、立位)

 今回は武道の体重移動が最初のワークだった。明鏡塾で日野先生の受けを取らせてもらうと、関係性に注視しているせいか、日野先生の体全体の確固たる存在を感じ、相手と一体となって技がかかっているのを感じた。自分勝手な力みや意図、重心のずれ、体の部分部分の分断などをなくすべく、さらに緻密にしていきたいと思った。

2) 「背中を触れる」ワーク(21組、臥位)

 今回もOさんと組んだ。今回の注目点は「手を背中にふれるのではなく、○○さんを触れる」ことだ。背中を触れている手が浅いやらどうのこうの、が気になっているようではだめ。体全体で聴きにいく。自分の体や手、目線など、自分のことはさておいて、相手を感じ取りに行く。リアルな関係を結びに行く。最近このワークに取り組むのが面白くなってきた。

3) 「相手の前腕を両手で持ち、相手の肩甲骨の内側(けんびき)のこりを感じる」ワーク (2人1組。床坐位)

不思議なことに、集中して相手にピタッと手を触れていると、肩甲骨内側のどちら側がこっているか手の感覚でなんとなくわかった。相手に「左?」と確かめてみると、相手の実感と合っていた。そして手の感触で相手の手首から肘、上腕、肩、背中上部、肩甲骨内側のこりへと線でたどっていく。右手、左手と順にこりへと線でたどって相手のこりを感じていると、こりが勝手に動いてほぐれていった。ピンポイントでなるべく細い線で相手の腕や背中を狙って感じていく。前回と同様、繊細さを要求されるワークだった。

4) 「両手で相手の両足首をふれる。相手全体をざっくり感じていると、相手のこっている場所が勝手に動く」ワーク(21組、腹臥位と坐位)

 腹ばいになっている相手の足首にピタッと両手を当てる。意思がちゃんと相手に向いていると相手のこっているところが勝手に動く。施術の最後などに相手全体をざっくり感じてほぐす手技として使える。明鏡塾のすがすがしい場で、相手にひたすら集中して手をふれていると、手や体全体からの感触で相手のこっているところ、緊張しているところがなんとなく分かる。左の首筋から肩、左側背部の筋肉のこりだったり、内臓のつかえだったりする。受けていても、肩こりなど筋肉がほぐれていって、胃腸が温まってお腹の音が鳴り出したりした。ヒトはいい関係性の中にいると幸せだ。

5) 「相手の呼吸にちゃんと合わせる」ワーク(21組、立位)

 向かい合った相手にわかりやすく呼吸をしてもらい、息をはいている時に相手の呼気の動作のリズムで相手に歩いて行って横に立ち、そのまま意識状態を切らさずに相手の手首と肘に自分の手を添え、相手の呼気に合わせて、呼吸と同じ速度で相手とともに歩き出すと、相手は抵抗感がなく前へ歩かされる。日野先生は簡単に手本を見せて下さったが、みんながすると、いろいろなぎこちなさが抵抗感を生んでいた。相手の呼吸のリズムを自分の体に写しこむのが難しく、意識状態を切らさずに動作するのも難しかった。あらかじめ決まったことをやるだけ、で、相手の呼吸から自分の手元などに意識を切り替えてはだめ、との注意があった。

 そこで、呼吸を写し取るだけのワークにうつった。向かい合って相手に大きくわかりやすく呼吸をしてもらい、それに呼吸を合わせる。ちゃんと相手に合わせた呼吸の動きで大きくこちらの体も前後に動かして、それを動画にとって確認したが、まあできない。何十回としているうちにわざとらしさ、ぎこちなさがややましになって、相手の呼吸と少しは合ってきたかも、くらいで今回は終わった。相手の呼吸を現実としてきちんと把握するよう意思を向け、呼吸の動作を自分の体で写し取る。相手と向かい合って、ちゃんとした関係を結ぶいい訓練だった。相手と「同調」しようとすると、自分の思いの世界となるので、あくまで相手の実際の「呼吸」をまねるが大事、との注意があった。

日野先生が「きちんと相手と同調して呼吸できるようになると、相手は自分が呼吸しているのか相手に呼吸させられているのか分からなくなり、呼吸のリズムを乗っ取られ、呼吸が容易に乱される状態になる」と言われ、手本を見せて下さった。

6) 「相手の意識状態の変化を察知する」ワーク(21組)

最初は前回と同じく、相手と対座して、相手におもむろに無言のまま頭の中で歌を歌ってもらい、歌い始めた瞬間を察知し、前腕を引っ張って合図するワークを行った。自分の主観であるが、Oさんは歌うとすぐ雰囲気が変わるのでわかりやすかった。Mさんは歌う前から目が泳ぎぎみで騒々しく感じられ、歌いだしを察知するのが難しかった。

変な当てもんみたいになってきたせいか、一歩踏み出そうとするのを察知するワークに変更になった。相手が前に進もうと意識した瞬間を察知して、手を出して合図する。武道の稽古で突きをしようとする瞬間を察知して動き出すのと似たワークになった。相手と対峙した瞬間に相手の意識と合わさないと、動き出しを察知するのが遅れる。分かっているけれど、遅かった。

7) 「歌を目で聞く」ワーク(21組・坐位)

 久しぶりに歌を目で聞くワークをした。Iさんとワークをしたが、以前と比べIさんの力みが抜け相手をはじかなくなっていて、だいぶ歌いやすくなり驚いた。私もだいぶ目の力みが抜けてきたと感想をいただいた。変わってないようでみんな着実に進歩しているのを感じた。

 

 

現実世界から逃げて、今までの慣れた、一見心地よい「思いの」世界で安住するのも、一つの人生かもしれない。しかしそれは酔生夢死であり、なさけないし、みっともない。人は生きている以上、他の人との関係、生き物や環境との関係から、逃げられない存在だからだ。

「逃げるな!」「覚悟して情熱を持って生きろ!」

そんなメッセージを日野先生から感じた。

「人生に意味は無い」と言われると、考えが浅はかだと虚無的、享楽的、投げやりにとらえられる恐れがある。しかし明鏡塾である程度学んだときに聞くと、言葉に重みがある。仕事にも意味は無い。だからこそ目一杯遊ぼう。関係性や感覚、体の繊細な使い方、意識、心の研ぎ澄まし方、集中力など、際限なく深めていける。稽古やワークから自分のテーマが次々に見つかっていくのが面白い。

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