2019年6月25日火曜日

背中を触れる(1)


明鏡塾で何回もするワークに「背中を触れる」がある。
床にうつ伏せで寝ている人にまたがって立ち、両手で背中に触れるワークだ。

もちろん最初から誰だって背中に触れることは出来る。
しかし日野先生の手本通り、“ちゃんと”「背中に触れる」ことは出来ない。

それに取り組むワークだ。


そもそも、初めての場合、見ただけで、どう違いがあるのか、わからない。
しかし、実際に背中を触れてもらうと違いを感じることは出来る。
一般人が触れると、自分とは別の人が背中を触っている感触がある。
まあ普通だ。
気持ち良く感じるかもしれない。
でも、よくよく注意してみると、他人の手から生じる異物感がある。
触れられた側には、ピクッとした緊張などの小さい生体反応がある。

一方、日野先生に背中を触れられると、
明らかに、一般人と違いがあるのに気づく。
日野先生の手は違和感が全くなく、
手がピタッと背中に触れて、他人の手という感じがしない。
全身が包まれるような心地よい感覚がある。
背中を触れられる前、触れられている最中、そして終わった後も、
ずうっと、一心同体感がある。
触られていても抵抗や緊張といった無意識の生体の反応が起きない。
名人芸である。

そこで、どうすれば、こんなことが出来るようになるか、である。
実はこれは、日野先生が何十年もかけてたどり着かれた境地のなせる技で、
数年くらい取り組んだくらいでは、とうてい出来ない。
ワークに取り組んでも、
禅の十牛図のような、
らせん階段を延々と登っていくような感じになる。
たまに、出来た!進歩した!という踊り場を経験するが、
すぐまた階段が始まる。
そして、てっぺんは全く見えない。

しかし、この階段を上っていくのは、楽しいのである。
自分の知らなかった発見、気づきがあり、
心境が深まっていくのが、分かるからである。

こんな名人芸を、塾のような手頃な場で教われるなんて、
ありがたいことだ。
しかも日野先生は、とにかくせっかちなのである。
生徒みんなが速攻で進歩するよう、仕向けられる。

実際ワークに取り組んでみて、どんな課題や気づきを得たか。
これについては、後日ボチボチと書いていきたい。

2019年6月20日木曜日

自我のわなから抜ける


ちゃんと感じると、心が落ち着く。
ちゃんと動かせると、心が清らかになる。

ちゃんと見て、聞いて、感じて、自分の思い込みで判断せずに、ありのまま受け止める。
意図したとおりに正確に動いて、自分のくせや思い込みで体を動かさない。

しかしこれを実現するのはかなり難しい。
人は、自分はちゃんと見て聞いて感じている、と思っている。
自分の思ったとおりに体を動かせている、と思っている。
そしてそんなことを疑問に思いもせず、生活を送っている。
もちろん、それが普通だ。
普通に生活できて、「人生そんなもんや」と満足してるなら、それでいい。

しかし本当のところは、
人は自分の感覚を、自分の思い込みで染めて、好きなように加工して受け止めている。
自分の体を、意図とは裏腹に、自分の動かしやすいところを自分勝手に動かしている。
自分の思い込みの世界の中で、独りよがりに感じて、勝手に行動している。
ゆえに、現実世界とのギャップが生まれ、
ひどくなると、生きていくのが苦しく、つらくなる。
他人から見たら、「なんやこいつ?」ってことになる。

果たして本当にそれでいいのだろうか? 
と思ったとき
私にとって非常に役に立ったのが、
テーラワーダ仏教と明鏡塾だった。

自我の妄想世界から、現実の世界に引き戻してくれる。
自然界の生き物として、現実の世界で、きちっと感じ、きちっと動いて生きる。
そうすれば、すがすがしい世界が開ける。

自我は、そんなことはないとわなを張る。
悪い世界は刺激が強いし、足抜けしにくいように、巧妙なわなを仕掛けている。
しんどくなったとき、
「ちゃんと感じる。ちゃんと動く。」
このことを思い出して、感覚に集中することが、
自我の妄想世界から足抜けする糸口になる。

2019年6月14日金曜日

脱・キカイダー


宇宙や地球、生命の歴史といった壮大な物語が好きだ。
そのような世界のお話しをしてくれる一人に、三木成夫先生がいる。
若い時、三木成夫先生の「胎児の世界」を読んで、かなり影響を受けた。

最近「人間生命の誕生」(築地書館)を再読した。
さすがは良書で新たな気づきがいっぱい得られた。
明鏡塾のおかげで生命に対する見方が進歩したせいかもしれない。
今回、その本の「第Ⅰ章 生命とは何か」から引用して、話を進めてみたい。

学校では、大自然が「生命」を持つ植物・動物・人間の三大グループと、
それを持たない地・水・火・風の四大グループに大きく二分される、と習った。
ところが一方、「お日様が微笑み、そよ風がささやく。大地が眠り、海が怒り狂う。」
などと言う。
そこには生物、無生物といった区別はなく、
地・水・火・風のすべてがわれわれ人間と同じように「生命」を持ち、
喜怒哀楽の生を営んでいる。
こうした世界は上古代のそれにあたる。
「生活」は「生命」のたんなるひとつの表われで、
「生活」は「生命」の終わりを意味するものではなかった。
死んでも命はまだ続いていた。

しかしいつの間にか、ヒトは生活に執着するあまり、
生命と生活は表裏一体の関係となり、
生命がなくなれば生活は終わりを告げ、
生活が終われば、生命が喪失したこと「死」を意味するようになった。
「生とは死に抗する機能の総体である」と考えるようになり、
今日の自然科学的な生物学は
「死に抗するための闘争」の「しかけ・しくみ」を解明すること
に全力をかたむけ、
全ての自然を、たんなる「無生」の機械的な物体として考えようとしている。

現代では、この人類史に起こった「生」の意味の大きな転換のために、
生の問題の再検討を強いられている。
われわれが、なに心なく自然に向かった時、
そこでまず眼に映るものはそれぞれの「すがた・かたち」である。
そのとき、それらはことごとく生きている。
路傍の石ころひとつとっても、軒の雨だれひと滴とっても、
それらはみなそれぞれの表情でもって
われわれに生き生きと語りかけてくる。

これに対し、もしわれわれの眼が、それらの「しかけ・しくみ」にしか届かない時、
それらはただ思惑の対象としての無生の物体となるだけだ。
われわれはまさにこの「すがた・かたち」の中にのみ、
「いのち」というものを見出す。
死してなお、ひとの心に鮮やかに、その「すがた・かたち」が残る時、
その人間の「いのち」というものは、まだ亡びていない。
「看護の本質」「治療の根本」は、本来は「すがた・かたち」、
ここでいう「いのち」を見る眼によってのみ支えられる。

以上、長々と引用させていただいた。

昭和40年代、キカイダーという子供番組があり、夢中になって見た覚えがある。
人造人間キカイダーの心の葛藤が子供心に面白かった。
そして現代である。
ヒトは、コンピューターの端末として振る舞うようになり、
ますます機械化の歯止めがきかなくなっている。
・機械的な検査、診断、治療」を受けて、症状が治らず困っているヒト
・「医者にかかっても、コンピューターばかり見て私の方を見ない」と、ぼやくヒト
・機械のようなすばやい反応、結果を期待し、思い通りにならないと、
キレたりフリーズするだけのヒト
と、ちょっと考えただけで、すぐ例が思い浮かぶ。

では、脱・機械化を目指すには、具体的にどうすればいいのだろうか?
現代社会の中では、これは難問である。
そんな中、日野晃先生は、明鏡塾という、
そのようなことを学べる貴重な場を、与えて下さっている。
「目で聴く、背中をちゃんと触れる、頭で解釈せず感覚をありのまま受け止める」など、
一朝一夕に出来ないことばかりだ。
しかし「いのち」の本質にせまる発見を次々に得られるのが、非常に面白い。

2019年6月5日水曜日

カラスの子

土曜日の晩、帰ってくると、玄関先に傷ついたカラスの子がうずくまっていた。
あたりは一面、灰色や黄褐色のフンだらけ。
灯りの下でギロリとこちらをにらむが、目がうつろ。
その日は疲れていたので、そのまま玄関に入り、放っておいた。

日曜日の朝、様子を見に行くと、カラスの子はまだいた。
近づいていくと玄関の戸やガラスの方へ飛び立とうとジタバタし、何度もぶつかった。
方向感覚もかなりぼけているようだった。
よく見ると玄関のガラスも、ひっかき傷やフンでよごれており、
血もベットリと付いてた。
これはかなり弱っていて死ぬかも、と思った。

身柄を箱に確保して、河原かどこかに連れて行こうとしたが、
上空には心配しているカラスが何匹か、カーカーとうるさく騒ぎ出し、
カラスの子に近づくと、危害を加えるな、とばかり飛んできた。
カラスの子も、自分で逃げる元気はあり、
仕方なしに箱を盾にして、そのまま空き地に誘導した。
そして玄関先を水とブラシできれいに洗い流し、1日放っておいた。
その日は一日カラスの子と、親鳥?達が、カーカーとうるさく鳴き合っていた。

次の日の朝、死体の始末をするのは嫌だなあと思いながら様子を見ると、
カラスの子は少し元気になっていて、道路に移動していた。
電線やアンテナに止まったカラス達が、カーカーと鳴いて
子ガラスを元気づけていた。
さすがカラスは気高いなあ、と感心し、そのまま忘れていたら、
目や翼の不自由さを何とか間に合わせて、
昼前にはどこかにいなくなっていた。

そう言えば、岡本太郎がカラスを保護して、
好意と敬意を持ってしばらく飼っていたなあ、
と思い出しながら、
人間だと、きっと不安や妄想にやられて死んでいたに違いない、と思った。
薬や病院にばかりに頼っていないで、
野生動物のたくましさ、生命力の強さを少しは見習いたいものだ。

2019年6月2日日曜日

日野先生ライブ

2019年6月1日土曜日、念願かなって日野先生71才のライブに行ってきた。
場所が新宿だったので夜の部のみの参加だったが、
16時過ぎに着いてロビーで待っていると、
昼の部を終わったはずの日野先生が不意にひょっこりと現れてニッコリ挨拶された。
全く普段と変わらずの自然体だ。疲れている様子もみじんもない。
「こんなもんやで」とあっさり答えられ、驚いた。
東京明鏡塾の懐かしい面々とも久しぶりに会えて楽しい時間を過ごしているうちに開演。

1部は日野先生のドラムソロ。
一言で形容すると、火山からマグマや噴石、火砕流がバンバン飛び散るのを、
食い入るように見入っている感じだった。
富士山が噴火したらこんな感じだろう。
日野先生は宇宙的な大自然そのものとなり、静寂の中、生命を爆発させていた。
そのほとばしるマグマは激しくなったり、治まったり。
観客や場のエネルギーと交流し、何もかも取り込んで変幻自在だった。
原始時代、ヒトが火山の噴火を見ながら、踊って祈ってお祭りをしていたような、
そんな場であった。
どれくらい演奏されていたのだろう? 
気がついたら、あっという間の約1時間?だった。

2部は一輝さんとの共演。
和太鼓、ドラムの2方向から、音の火花が激しく、
しかも奇妙にぶつかることなく、どんどん打ち上がっていた。
舞台上にきれいで華々しい花火が次々と描かれていくような感じだ。
かと思えば、一輝さんの若さあふれる荒々しい和太鼓の音を、
日野先生がドラムでひょいひょいと受け止めて返していく。
大津波や隕石の衝突があっても、
泰然と存在している宇宙の姿のようだった。

ドラムの演奏一つとっても、
たぶんビデオのスローモーションでも、
一つの腕の打ち下ろし動作で何回音を出しているのか分からないだろう。
とにかく人間業とは思われない演奏だった。
リミットを自分でかけなければ、人間の可能性に限界はない。
そんな大事なことを自分の目で見ることができた。
ライブ会場でありがちな、耳を麻痺させるような大音量の音ではなかった。
しかし音が強烈に、会場にいた大勢のみんなに響き、作用する。
そんな場を体感できて良かった。
そしてたぶん無意識に、いや無意識だからこそ、強い影響を受けて帰ってきた。